気仙沼大島と唐桑でひのきしんしてきました。

大震災より一年半近い月日が経過していますが、その爪痕を見る限りに如何に多大な犠牲を生み、人々に大きな傷を残したか。ひのきしん現場へ向かうまで、津波でもがれた電柱や信号器、基礎しか残っていない建築物や、場所によっては三階にまで残る塩跡など、それらを見ながらの被災者による体験話は、生々しくも無力感を覚えました。
 
震災後間もなく、私が勤務している会社内ではこんな話題が挙がりました。【被災地の件をどう感じ、自分には何が出来るか?】意見は多数分かれ、同情しかできないと言う人、募金する人、インターネットでの応援投稿など。気持ちは続かず、すぐに忘れてしまうと思います。しかし、毎日のおつとめで忘れない事ができる、現地にひのきしんに行ける、おたすけができる。そう考えると天理教の教えは素晴らしいのだと感じます。

私は今回、人のつながりの喜びを感じ感動しました。ひとつ屋根の下で、家族一緒に暮らせる事が、どれ程幸せなことなのかと考えさせられる二日間でした。ありがとうございました。
           

気仙沼大島の小田の浜海水浴場の埋もれたゴミを取り除く作業を手伝わせて頂きました。あと数日後の21日に海開きとのことで多くの方々がすでに危険物を取り除いた後の清掃でしたがまだまだガラス片などの危険物が出てきました。

仮設住宅の方へも行かせて頂きました。その中少しお話しをさせて頂きましたが、真っ先に天理教の方々がとんでこられ本当にありがたかったし今も継続的に一生懸命にやって下さることが嬉しくてありがたいと仰っていました。

また、震災より一年五ヶ月が経ちますが、人々の心には苦悩が山積み。少しでも、たわいない話でもいい、お話し相手になり話を聞いてくれる人が必要だと思いました。ぜひ汗をかきながらお手伝いさせて頂き、地元の人とお話して下さい。まだまだやらせて頂かなければならないことが沢山あります。